2011年7月31日日曜日

神田川界隈(後楽橋〜飯田橋) 撮影;2011.7.28

◎TOKYO PHOTO  ; KANDA RIVER NO.3 28.7.2011









 
水道橋から東京ドームに行く専用の橋がある。橋の上にしばらく佇む。ここから眺める車道は片側4車線もある広々した道路。この橋を渡ってお父さんと野球を見に行く…。きっと少年にとっては今も東京ドームは夢の場所なのだろう。

黄色いビル(上から2番目の写真右側のビル)の脇を入っていくと「小石川後楽園」に出る。江戸時代初期に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園。池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」で、各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されているという。都立9庭園のひとつ。この日は園内には入らず、白壁の土塀に沿った緑道をたどりながら外堀通りに出る。

神田川は外堀通りと並行して流れ、その上には高速道路が覆いかぶさるように走っている。神田川と線路と高速道路が三重になっている地点だ。池袋方面からきた首都高速5号線が「後楽橋」の次の「小石川橋」の上で竹橋方面に大きくカーブしている。その下で神田川から分流した日本橋川が、都心の一ツ橋や神田、日本橋などを経て隅田川に注いでいる。

飯田橋合同庁舎前を通って「飯田橋」まではすぐそこ。ここから神田川は文京区と新宿区の境を流れ、中野区、杉並区などをさかのぼると、三鷹市井の頭公園内の井の頭池が出発点となる。

photo ; 宇都宮 保
文;長谷川

2011年7月30日土曜日

神田川界隈(水道橋〜後楽橋) 撮影;2011.7.28

◎TOKYO PHOTO  ; KANDA RIVER NO.2 28.7.2011










 
「お茶の水橋」のある東京医科歯科大学、順天堂大学あたりから急な下り坂になっていて、「水道橋」まで下りてくると道路の高さと神田川が近づいてくる。

水道橋に近い外堀通りに面したところに「神田上水懸樋跡」と記された石碑がある。
「江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。明治34年 ( 1901 )まで江戸 ・ 東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として大きな役割を果たしました。この樋(とい)は、懸樋(架樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。」と書かれていて、水の供給に苦労したようすがしのばれる。

「水道橋」横の交差点は外堀通りと白山通りと交差するところ。交通量が多い。東京ドームやアトラクション、ホテルは目の前。水道橋駅西口の正面にある橋を渡ると黄色いビルがある。正式名称もなぜか「黄色いビル」。WINS後楽園という場外馬券発売所になっている。手にした競馬新聞に見入っている中高年男性の、その背を丸め壁に向かう後姿がどことなくみな寂しげに見えた。

photo ; 宇都宮 保

2011年7月29日金曜日

神田川界隈(万世橋〜水道橋) 撮影;2011.7.28

◎TOKYO PHOTO  ; KANDA RIVER NO.1 28.7.2011









都会の真ん中にありお世辞にも清流とは言えなくても、川とそこに架かる橋の空間があるとほっとする。
神田川は三鷹市井の頭池を水源として、いくつもの区をまたいで流れ、最後は隅田川と合流する全長24.6kmの川だ。隅田川合流地点に近い万世橋から飯田橋まで、流れとは逆に歩いて川と周辺のたたずまいを楽しんだ。

最初は「万世橋」から見た光景。左側にある煉瓦作りの建物は旧万世橋駅の遺構。万世橋駅は神田駅と御茶ノ水駅の間に存在した国鉄中央本線の終着駅だったという。明治45年の開業で、1等2等待合室・食堂・バー・会議室等を備える赤煉瓦造りの豪華な駅舎だった。しかし、関東大震災や後に開業された秋葉原駅や神田駅の影響で乗降客は減少。昭和18年に駅自体が廃止され、古い煉瓦建築の高架線はそのまま「交通博物館」として使われ続けるが、そこも平成18年に閉鎖された。歴史に翻弄された駅であったが、この威風を漂わせる赤煉瓦は取り壊さず遺してほしいもののひとつだ。

次の「昌平橋」からは総武線と中央線の交差の様子を間近に見ることができる。総武線の神田川陸橋からのぞく川沿いの家並みが窮屈そうに建ち並んでいる。反対側の淡路坂沿いの赤煉瓦の高架下は、いくつかのレストランのお手頃なランチメニューが並ぶ。

御茶ノ水駅前の「聖橋」に出る。この美しい橋の全貌は次の「お茶の水橋」から見たほうがいい。昔から「お茶の水渓谷」と呼ばれているこの辺りは、川面をのぞくとその高さに驚く。さわやかな風をうけながら「水道橋」方面へ。

photo ; 宇都宮 保
文;長谷川

2011年7月28日木曜日

新宿区神楽坂(3) 撮影;2011.7.25

◎TOKYO PHOTO  ; KAGURAZAKA  25.7.2011












神楽坂には雑誌などでよく採り上げられる小路があったのを思い出し、赤城神社に立ち寄った帰りに、隣にある東京都教育庁神楽坂庁舎の職員の人に聞いてみた。「毘沙門天の反対側の路地を入っていくと、石畳が敷かれていて、狭いながらいい雰囲気の場所があります。神楽坂も雑誌や地図を手に大勢の観光客が訪れるようになりましたけど、賑やかな表通りより、むしろ路地裏のほうが昔ながらの神楽坂らしい所が多いですよ」と教えてくれた。

そこは「兵庫横丁」と呼ばれ、旅館「和可菜」や、「幸本」「おいしんぼ」などといった料理屋が並ぶ風情のある一角。石畳と塀と緑が美しい。店先にさりげなく置かれたほうずき鉢や野菜を冷やした木桶、すだれや木製ベンチなど、日本の夏の風情が感じられて心地よい。

「和可菜」は50年以上この地で営業している老舗旅館という。著名な脚本家や小説家などが作品を仕上げるためにカンヅメになる旅館として知る人ぞ知る存在。山田洋次監督も「男はつらいよ」の台本をここで書いていたという。女将がひとりで切り盛りし、落ち着いた佇まいともてなしが集中する仕事を助けている。

もう一度毘沙門天に戻って大手門通りに入り、庚嶺坂(ゆれいざか)を下って外堀通りにでる。こちらの道もなかなかいい。東京理科大のきれいなキャンパスが何棟かあり、学食のある8号館で学生に混じって休憩をとった。

photo ; 宇都宮 保
文;長谷川

2011年7月27日水曜日

新宿区神楽坂(2) 撮影;2011.7.25

◎TOKYO PHOTO  ; KAGURAZAKA  25.7.2011










神楽坂の魅力は路地裏、横丁歩きにある。にぎわいのある神楽坂通りから一歩裏の道へ、もうひとつ奥の路地へと入っていくと、思いがけない発見があるから楽しい。塀の上から猫の鳴き声が聞こえてきたり、おもむきのある階段に出会ったり…。フレンチの店やカフェ、和雑貨の店など小さくても個性的な店が民家の間にひっそり佇んでいるのも風情がある。

神楽坂は坂道が多い。東京メトロ飯田橋駅出口のある外堀通りの交差点は「神楽坂下」。そこから神楽坂商店街を登っていって、大久保通りと交わる交差点が「神楽坂上」。「神楽坂」はベビーカーを押すお母さんやお年寄りには長くきつい坂道だ。道なりに進む神楽坂駅方面への途中、右手に入ったところに「赤城神社」があり、その横に急坂の「赤城坂」がある。坂を降りていくと印刷や製本所の多い地域に出る。「軽子坂」「三年坂」「地蔵坂」など名のある坂のほかに名もない坂が多くある。

赤城神社がモダンな建物に変わったのには驚いた。神社とマンションが一体となった「赤城神社再生プロジェクト」ということらしい。世界的建築家の設計監修による新しい社殿は、神社の概念を覆してしまうような斬新なデザイン。すぐ横におしゃれな「あかぎカフェ」がありカップル、女性同士、外国の人たちでにぎわっているのは東京らしい。境内では月に一回「あかぎマルシェ」という女性をターゲットにした小さな市場を開催したり、寄席が開かれたりとおしゃれな空間を演出しているようだ。

photo ; 宇都宮 保
文;長谷川