2011年7月18日月曜日

映画「ボヴァリー夫人」監督;アレクサンドル・ソクーロフ

◎TOKYO PHOTO  ;  Madame BovaryAlexander N.Sokurov ) Saturday.7.2011

原作はこれまで何度も映画化されてきたフランスの作家フローベルの「ボヴァリー夫人」。本作は、ロシアの監督アレクサンドル・ソクーロフが原作の舞台をフランスからロシアの片田舎に移し映画化した作品、と下記の公式サイトに紹介されている。

http://www.pan-dora.co.jp/bovary/

内容は原作をソクーロフ風にデフォルメしているようで、バタバタと動き回るだけの、セリフも異様にかん高く、彫りの深い目鼻立ちはしているものの年齢不詳であるボヴァリー夫人エマといい、ギョロギョロとした目つきの、汗っかきの、しかも小太りの夫のシャルルといい、いわゆるボヴァリー夫人の代名詞のようにいわれる「官能的な描写」とはほど遠いところにある映画だった。映画のほとんどの場面でハエがぶんぶんと飛び回る描写や効果音も、辺境なロシアの田舎の貧しさを映しているだけで、ほとんど効果をあげていない。

ただ、コンピュータグラフィクスだけが見所のハリウッド映画でもない、濃厚な人間の内面を描くフランスの映画でもない、ギラついた時に軽妙な中国の映画でもない、根源的な生を問いかけるイランやイラクの映画でもない、そうした映画のいずれの領域にも入らない、大陸的で、しかもソクーロフ彼自身の映画という点では見るべき価値のある映画であった。これこそ映画が映画であり得る愛すべき芸術性かもしれない。

白い岩場が広がる田舎の冒頭シーンに不自然にレクイエム音楽が流れ、最後のボヴァリー夫人の埋葬シーンで再びこのレクイエムが流れる、こうしたある種の「分かりやすさ」もロシアの芸術のひとつの断片をみるようで、思わずニンマリと頷いてしまった。

文;宇都宮 保

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