2011年8月16日火曜日

秋元 藍著『ハナコの首』を読む

『考える人』や『地獄の門』『カレーの市民』などの作品で知られ、近代彫刻の父と言われるロダンに『死の首・花子』という作品がある。かっと目をむき苦痛にゆがんだ、断末魔の形相をした女の頭部の像。モデルをつとめたのは、二十世紀初めにヨーロッパを舞台に活躍した人気女優マダム・ハナコという日本人女性。ほとんど知られてはいない。明治30年代、日本では女優というのはまだいなくて、女役は女形(おやま)が演じていた時代であり、ましてやヨーロッパで舞台女優として絶賛の嵐をあびていた女性がいたなどとは。

ハナコこと太田ひさは、明治元年愛知県生まれ。2歳のとき乳母とともに生家を出される。その後八百屋の養女となるが、養家の家業が傾くとドサ回りの芝居の子役として働き、13歳になると芸妓に身売りされる。幼いときから踊りに芝居にと芸事を叩き込まれたひさであるから、たちまち売れっ子芸妓になる。18歳の時、河川工事の請負師の40男に見初められ、いやいや結婚を承諾する。夫に仕え、雑事に追われ無我夢中で生きてきたひさであるが、それまでの生活に焦燥を覚え、若い男と駆け落ちをする。しかしその男にも裏切られ独りになる。

幼少から逆境のなかで耐えて耐えて生きてきた。そして30歳を過ぎて死ぬ気で渡ったヨーロッパである。身長138センチ、体重30キロ、足は八文(19,2センチ)というひさが「ヨーロッパの舞台における最も小さい女優・ハナコ」といわれ、フランス、イギリス、ロシア、ドイツなどヨーロッパ中の劇場で拍手喝采を浴びる。ハナコの何がそれほどヨーロッパの人々を惹き付けたのか。モスクワの俳優・演出家としてチェーホフの『かもめ』やゴーリギーの『どん底』などを上演したスタニスラフスキーはハナコの演技を見てこう賞賛する。
「一口にいうと、演技が芸術になる状態とは、俳優が役の魂を自分の魂としている状態ですよ。いいかえれば、俳優の創造とは役を生きることです。ハナコさんが、今、舞台でやっている『生娘』の死の場面は、誰にも真似のできないリアリティがあります…」「足腰のバネや筋肉、体全体がしなやかで柔らかく、音楽を奏でる巧みさは幼いときから鍛えあげられたものである…」と。

マルセイユでハナコの舞台を見たロダンは、彼女が斬られて死ぬときの死の演技に衝撃をうけ、創作意欲をかきたてられる。ハナコは忙しい芝居の合間をぬってロダンのアトリエに通いモデルをつとめる。何時間も苦しいポーズをとり続けるハナコをロダンは我が子のように可愛がり、14年間に多くのハナコの首をつくることになる。

ヨーロッパでの成功とロダンとの出会いは、まさに「辛抱の樹にはきっと花が咲く」というハナコの人生の花そのものであった。
ロダンによって永遠の命を吹き込まれた『ハナコの首』は新潟市美術館に展示されている。

○秋元 藍氏(あきもと あい)
福岡県北九州市生まれ。作家。彫刻家。主な著書に『眠られぬ夜の旅』『聖徳太子と法隆寺』『碑文 花の生涯』。他に共著多数。

文:長谷川京子

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