2012年3月31日土曜日

清岡卓行著『マロニエの花が言った』を読む

5月。シャン=ゼリゼ大通りから少し奥まったホテルに宿泊した著者・清岡卓行は、窓のカーテンを開けると、街路のマロニエが朝の日光を浴びて、白い花の盛りを燦然と輝かせている…という光景に偶然出会う。まるで贈物をもらったような、歓待のしるしを受けたような感動をおぼえたという。大学でフランス文学を学んだ著者が、パリへの熱い憧れを胸に秘めたまま、60代になって初めてパリを訪れた。この旅が、何年も前から計画を立てて取り組んできた今回の著作のための、強い動機付けになったと序章でのべている。

二十世紀において最も魅惑的な文学芸術の空間はどこにあったのか。それはふたつの世界大戦をはさんだ、ある時期におけるパリ。そう考える著者が、パリで青春の焰を燃やした十数人の芸術家たちの生き様を、横断的に描き出したのか本著。藤田嗣治・ユキ夫妻、岡鹿之助、シュルレアリスム詩人ロベール・デスノス、アンドレ・ブルトン、写真家マン・レイ、モダンダンスの道を開いたイザドラ・ダンカン、作家の島崎藤村、哲学者の九鬼周造、実業家の薩摩治郎八、詩人の金子光晴・森三千代夫妻など…。前半が藤田嗣治・ユキとロベール・デスノスを中心に、彼らを取り巻く人間像とその時代背景とが描かれる。後半は金子光晴・森三千代を中心にしながら、光晴らと藤田嗣治・ユキ・ロベールとの交友などが展開される。詩人でもある清岡卓行の文章は、「詩と散文、双方のジャンルの枠を読者に思考させる質を備えている」と石川淳が指摘したように、美しく魅力がある。上下巻とも600ページに近く、約10年に及び書き続けられた大作。1999年に野間文芸賞を受賞している。

前半の主人公は藤田嗣治。彼は1913年に渡仏し、パリのモンパルナスに居を構えた。当時のモンパルナス界隈は家賃も安く、芸術家が多く住んでいた。嗣治は隣の部屋に住んでいて後に「親友」とよんだアメデオ・モディリアーニやハイム・スーチンと知り合う。また彼らを通じて、後のエコール・ド・パリのジュール・パスキン、パブロ・ピカソなどと交友を結ぶ。また、同じようにパリに来ていた川島理一郎や、島崎藤村、薩摩治郎八、金子光晴ら日本人とも出会っている。

嗣治は生涯に5人の女性と結婚した。最初の妻は、東京美術学校を卒業した年に房総半島を旅行中に知り合った鴇田とみ。彼女は東金町で家庭科の教師をしていた。結婚の翌年の1913年、嗣治はとみを東京に残し、3年間という約束で単身パリに渡る。パリで生活を始めた翌年に第一次世界大戦が始まり、生活も困窮する。最初は頻繁に便りをするが次第に間遠になり、3年後パリでの生活を続けることを選んだ嗣治はとみと別れる。大戦が終局に向かう頃には少しづつ絵が売れはじめる。それには二人目の妻、フェルナンドの協力によるところが大きかった。やがてフェルナンドともうまくいかなくなり、孤独な中で『五人の裸婦』像を描いていた嗣治は、若く色白のリュシー・バドゥと出会い結ばれる。それが三人目の妻・ユキ。ユキとは、雪のように色白なリュシーに嗣治が名づけた。彼女をモデルにして『横たわる裸婦』『ユキ、雪の女神』など裸婦像を熱心に描くようになる。「乳白色の肌」とよばれた柔らかく艶のある乳白色の下塗りを施したうえに、筆と墨で輪郭の細い線を引くといった日本画の技法を取り入れた独自の画風をうみだし、それが絶賛を浴び、めざましい活躍をみせるようになる。

前半のもう一人の主人公はシュルレアリスム詩人ロベール・デスノス。1900年生まれのフランスの詩人。1922年、シュルレアリスム運動に参加。リーダーのアンドレ・ブルトンに「シュルレアリスムの真実に最も近づいた人物」と評されるが、のちにそのジャーナリスト活動、政治傾向等を批判され、1929年ブルトンと決定的に袂を分かつ。イヴォンヌ・ジョルジュというフランスのシャンソン歌手に崇拝に近い憧れを抱いていたブルトンであったが、イヴォンヌが1930年に30代前半の若さで亡くなると、やがて藤田嗣治の妻・ユキに思いを寄せるようになる。嗣治もそのことを知りながら、デスノスと親交を持ち、旅行したりもしている。

詩人・金子光晴と妻・森三千代。光晴が妻の森三千代を伴い、1年以上かけた放浪の旅のあとパリに到着したのは1930年1月のこと。まず上海までの汽船の切符を手にして長崎港を発つ。上海から香港へ、香港からシンガポールへ、シンガポールからジャカルタ、そしてジャワへ。所持金をほとんど持たなかった二人は、どこの国、町へ行っても、光晴が描いた風景や風俗などの絵を売って旅費や生活費を稼いだ。旅費が足りなかったため、妻が先にパリに向け出発し、光晴は2ヶ月遅れでパリに着く。後年ふたりはこの放浪の旅やパリでの生活、藤田嗣治やロベール・デスノスや他の芸術家との出会いなどについて、さまざまに回想している。

1930年8月下旬頃、 藤田嗣治はユキとロベール・デスノス、甥を伴ってフランス中東部ブルゴーニュへの行楽の旅にでかけた。前年ニューヨークで始まった大恐慌が世界に暗い影をおとしはじめていた。パリでもさまざまな影響が出始めていたが、4人は飲んだり食べたりの気楽な旅をした。若く美しいマドレーヌとの秘密の関係を持ち始めていた嗣治。ユキとロベール・デスノスの関係も以前より親密さが増していた。3人は微妙な変化のなかで、やがて再び世界大戦が勃発するのではないかという不安をよぎらせていた。

著者: 清岡卓行(きよおか たかゆき)
1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)。日本の詩人、小説家。
大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。
妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で創作活動も行っている。
受賞歴
1970年 - 『アカシヤの大連』で芥川賞
1979年 - 『藝術的な握手』で読売文学賞 随筆・紀行賞
1985年 - 『初冬の中国で』で現代詩人賞
1989年 - 『円き広場』で芸術選奨文部大臣賞
1990年 - 『ふしぎな鏡の店』で読売文学賞 詩歌俳句賞
1991年 - 紫綬褒章
1992年 - 『パリの五月に』で詩歌文学館賞
1995年 - 日本芸術院賞(詩歌部門)
1996年 - 『通り過ぎる女たち』で藤村記念歴程賞
1998年 - 勲三等瑞宝章
1999年 - 『マロニエの花が言った』で野間文芸賞
2002年 - 『一瞬』で現代詩花椿賞
2003年 - 『一瞬』と『太陽に酔う』で毎日芸術賞

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

文;長谷川 京子

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