2012年5月23日水曜日

田端文士村その2(北区)

◎TOKYO PHOTO  ; TABATA no2.  18.5.2012







田端5丁目の路地にある室生犀星・菊池寛旧居跡を見たあと、大龍寺の大木が連なる八幡坂に出る。八幡坂は趣のある坂道。高台に立つ住宅のブロック塀に草花が乱れ咲く様子も目に留まる。田端公園では、4、5歳の男の子が一心に自分のオモチャを水洗いしていた。

田端公園からポプラ坂の標識のある田端保育園前に出る。田端保育園はポプラ倶楽部跡地に建っている。ポプラ倶楽部は、洋画家の小杉放庵が明治41年頃作ったテニスコートで、当時田端に住む洋画家たちの社交場であった。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、小説家の菊池寛なども近くに住んでいた。

田端保育園の横にはマンション建設反対の看板が掲げられている。高い建物がない周辺の住民にとって、7階建てというのは高すぎて威圧感があるということだろうが、おかまいなしに建設は進んでいる。マンション建設地からポプラ坂を下っていく途中、ひな壇のように新築戸建て住宅が何棟も建設されている。都心の真ん中でこれ程の規模の住宅地が新しく出来るのは珍しい。

谷田川通りに出る。この周辺に堀辰雄、岡倉天心、竹久夢二や村山槐多なども住んでいた。北区田端区民センター(ふれあい館)の前には小杉放庵旧居跡の標識がある。さらに進むと、塀越しにゆずの実がたれ下がった家がある。この近くにに萩原朔太郎が数ヶ月暮らした。朔太郎は大正14年に妻子とともに上京し、大井町からここへ転居してきた。室生犀星の強い誘いだったらしい。芥川龍之介は、朔太郎が田端に来たことが嬉しくて、佐藤春夫に『この頃田端に萩原朔太郎来たり、田端大いに詩的なり』と手紙を送ったとのこと。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

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