2012年6月29日金曜日

西日暮里(荒川区)から尾久(北区)

◎TOKYO PHOTO  ; FROM NISHINIPPORI TO OKU 13.6.2012









西日暮里駅から尾竹橋通りを進み、明治通りと交差するところが宮地の交差点。明治通りが陸橋になっていて下には5叉路もある複雑な交差点だ。その手前には水泳の北島選手の実家のお肉屋さんもあり、周辺には韓国や朝鮮料理の店も多い。

京成線の新三河島から少し進んだ西日暮里6丁目に冠新道と名前の付いた昔ながらの商店街がある。大正の初期に冠(かんむり)氏が土地を提供して作った私設道路とのこと。こじんまりしている店が多いが、生活に必要なものはほとんど揃う。

舎人ライナーをくぐって北区田端新町へ。明治通りに出ると中古の工作機械を扱う中小の店が軒を連ねているのに驚く。こちら北区尾久や荒川区などは現在も町工場が残る地域だ。古く錆びてしまっているものも店の前に置かれているが、不思議と風格がある。

尾久駅前にある観光案内所でマップなどをもらう。駅ひだりの暗く長い地下道を通って反対側にでる。古い工場や壊れかけたアパートの前を通って、縄文時代の貝塚・中里貝塚へ。ここは江戸時代から貝殻が大量に出土する「かきがら山」として知られていたとのこと。隣の幼稚園の子どもたちが元気に駆け回っていた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

2012年6月28日木曜日

夜の表参道、キャットストリートなど(渋谷区)

◎TOKYO PHOTO  ; OMOTESANDO 24.6.2012











夜の表参道は昼とは違う落ち着きがある。青山通りと交差する表参道交差点から、原宿駅前付近の神宮橋交差点までの1キロ以上の区間に、ケヤキが163本植えられ、美しい街路樹を形成している。最もオシャレなストリートのひとつで、日本国内外の有名ブランド店も集積。多くの外国人も行き交う。

その中間地点にあるのが表参道ヒルズ。地下3階から地上3階まで6層分のフロアは商業施設。4階・5階・6階は全38戸の住居施設になっている。同潤会青山アパートを取り壊した跡に建設され、2006年にオープンした。表参道ヒルズの東側一角に同潤会青山アパート一棟が再現され、ギャラリーや店舗として使われている。

表参道ヒルズの隣には神宮前小学校がある。東京大空襲によって校舎を焼失した後、1947年(昭和22年)に建てたという校舎は相当古い。その先にある通りには若者向けのショップがずらりと並んでいる。キャットストリートと呼ぶことを若い店員さんから聞いた。これは暗渠化された渋谷川の上に作られていて、名前の由来は「猫の額のように狭い通りだから」、「猫が多いから」、「"ブラックキャッツ"という音楽バンドが生まれた土地だから」、などの諸説があるとのこと。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

2012年6月27日水曜日

上野駅とその界隈(台東区)

◎TOKYO PHOTO  ; UENO STATION 22.6.2012









京成上野駅からJR上野駅とその界隈を歩く。高架下には立ち食いの店やお土産屋などが並び、少し行くとアメ横への入口がある。不忍口から出てすぐに目の前にあるのが、終戦間もない頃建てられたという上野松竹デパート。かつては映画館もあったが、今は囲碁センターや100円ショップが入っている。隣にあった上野百貨店(西郷会館)は取り壊されて、現在建て替え中。

広小路口から出た通路に『あゝ上野駅』の歌碑がある。1964年に発表され、高度成長期を支えた集団就職の少年たちへの応援歌として井沢八郎が歌い、ヒットした。集団就職で上京した中小企業経営者ら有志たちによって、2003年に上野駅前に建立されたとのこと。蒸気機関車と駅に降り立ち荷物を持ちながら歩く学生服姿の若者達のレリーフとともにある。広小路口からマルイに繋がる歩道橋の上に立ち、電車の通過や人がせわしなく行き交う様子を眺める。

駅構内に入る。広小路口にある「atre」レトロ館2階からは、1階通路の立派なアーチが見える。また中央改札へ続く大屋根は、昭和7年に作られた上野駅の象徴的存在で、鉄骨がむき出しのまま。その前にある中央改札の上の壁画は、猪熊弦一郎画伯の「自由」(1951年) 。60年以上経って今なお輝く。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

2012年6月26日火曜日

上野の杜で 西郷隆盛像、正岡子規記念球場、竹の台広場など(台東区)

◎TOKYO PHOTO  ; UENO PARK 22.6.2012








上野公園をゆっくり散策。上野駅パンダ橋方面から上野の森美術館、西郷隆盛像、正岡子規記念球場、すり鉢山、東京文化会館などを見てまわる。西郷さんの横にはアメリカデイコの赤い花が咲き、落ちた花びらで地面が赤く染まっている。アメリカデイコはブラジル南東部からアルゼンチン北部が原産で、江戸時代に日本に渡来した。真っ赤な大きな花が南国の花木らしく、鹿児島県の県木になっている。

すり鉢を伏せたような形状をしていることから名前のついたすり鉢山が、正岡子規記念球場の手前にある。ここから弥生式土器や埴輪などが出土していて、約1500年ほど前の前方後円墳とのこと。石段を上ると鬱蒼とした古木に囲まれた平らな狭い空間にベンチが置かれているというだけの寂しいところ。英語の案内板だけが目立つ。

今年の春頃まで整備が行われていた上野公園の噴水周辺は、「竹の台広場」として完成し、広々した綺麗な噴水が勢いよく吹き上げる。周囲は木のベンチも用意されている。この広場は江戸時代には寛永寺の根本中堂があった所。上野戦争の戦場となったことから、根本中堂をはじめ主要な堂宇はこのとき焼失した。明治維新後、寛永寺は国立博物館の裏手に押しやられ、境内地は新政府に没収され公園となった。

歴史と文化にあふれた「上野の杜」で、多くの人がくつろぎ、そして行き交う。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

2012年6月25日月曜日

国立西洋美術館前庭のロダンの彫刻(台東区)

◎TOKYO PHOTO  ; THE NATIONAL MUSEUM OF WESTERN ART 22.6.2012









国立西洋美術館の広い庭にオーギュスト・ロダンの彫刻が数点飾られている。ロダンは19世紀を代表するフランスの彫刻家で『近代彫刻の父』と称される。門を入って右手奥にある圧倒的存在感の「地獄の門」。高さ540cm、幅390cm、奥行100cmもの大きさで背景の深い木々の緑に映える。

ロダンは1880年、フランス政府からの要請で国立美術館のモニュメントとしてこの門を考案したが、美術館の建設計画は白紙に戻ってしまい、「地獄の門」を自らの物として彫り続けた。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘文で知られるダンデの叙事詩『神曲』地獄篇がテーマになっている。

「地獄の門」の両側に「アダム」の像と「エヴァ」の像が並んでいる。その手前に唯一のブールデル作「弓を引くヘラクレス」の雄々しい像がある。

左側の広場にあるのは「カレーの市民」。この作品は、英仏百年戦争を題材にして1888年に完成した。1347年の百年戦争時、フランスの重要な港カレーが一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた。降伏したフランス側は、街の城門の鍵と自ら犠牲となることを志した6人をイギリス軍に差し出した。死に直面した6人の絶望と苦悩の表情が胸を打つ。

その向こうに「考える人」の像がある。「地獄の門」の真ん中の「考える人」を大きくして単体にしたのがこの「考える人」。静岡県立美術館(ロダン館)や京都国立博物館にもあり、現在ロダン美術館によって真正品と認定されているものは、世界に21体存在しているという。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子