2012年9月26日水曜日

日暮里駅界隈と羽二重団子

◎TOKYO PHOTO NIPPORI AND HABUTAEDANGO ; 21.9.2012












◎text
雨上がりの夕刻に日暮里駅界隈を歩く。駅前にはステーションガーデンタワーとステーションプラザタワー、ステーションポートタワーの3棟の超高層マンションがそびえ建って他を圧倒している。日暮里始発の舎人ライナーが駅前から西日暮里方面に大きくカーブして、道路のはるか上を走っている。

日暮里駅の東口広場には太田道灌像がある。太田道灌は室町時代の武将で江戸城を築城した武将として知られている。 日暮里駅西口を出てすぐの本行寺境内には「道灌丘之碑」という区の文化財の碑が立っている。また西日暮里駅前には道灌山という小山があり、駅前から不忍通りまでの通りを道灌山通りという。この界隈は太田道灌のゆかりの地ということになる。

駅前を根岸方面にしばらく歩いていくと、江戸時代後期の文政2年(1819)創業の「芋坂 羽二重団子」の看板が見えてきた。「江戸の昔より、日暮しの里・呉竹の根岸の里といえば花に鶯、流れに河鹿、眼には遥かな荒川の風光にも恵まれた別天地で明治大正の頃まで、粋で風雅な住宅地だった。初代庄五郎が現在地に藤の木茶屋を開業し、街道往来の人々に団子を供すると、きめ細かく羽二重のようだと賞され、それがそのまま菓名となって、いつしか商号も羽二重団子となった」とのこと。

夏目漱石や正岡子規、泉鏡花、田山花袋などそうそうたる文豪にも愛された。正岡子規は羽二重団子のすぐ近く、上根岸82番地に住んで、病床でこの団子についての俳句や短歌を残している。
「芋阪の團子の起り尋ねけり」
「芋阪の團子屋寝たりけふの月」
「芋阪の團子売る店にぎわひて團子くふ人團子もむ人」

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

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