2013年1月22日火曜日

早稲田 穴八幡から漱石山房

◎TOKYO PHOTO WASEDA,ANAHACHIMAN ; 12.2012







◎text
早稲田大学大隈講堂の前から緩やかな坂道をのぼって馬場下町交差点に出る。本屋、飲食店、雑貨店や不動産、コンビニと学生街らしく色々な店が揃っている。就活中らしい学生の姿も多く目にする。馬場下町交差点の向こうに穴八幡神社の鳥居が見える。

この日、馬場下町交差点周辺には警備の警察官の姿も多く、境内は非常に賑わっていた。穴八幡神社で冬至祭りの日から配布する一陽来復御守りを求める人、手を合わせる人が列を作っていた。このお守りを持っていると、穴八幡神社に伝わる福神のご利益で、お金に恵まれ幸せになるといわれて、江戸中期より配布されてきたとのこと。再建されてまだ年月を経ていない鮮やかな朱色の門前にも露天が並ぶ。

交番前を通って早稲田通りから夏目坂を上る。その坂入口の牛丼の吉野家の脇に、「夏目漱石誕生之地」と刻まれた黒御影石の記念碑と案内板がこじんまりと置かれている。昭和41年に漱石の生誕100年を記念して建てられ、文字は遺弟子である安倍能成氏によるもの。

漱石は慶応3年(1867)に牛込馬場下横町(現在は喜久井町)のこの地で生まれた。夏目家は代々この地の名主で、漱石の父・直克は神楽坂から高田馬場辺りの十一ヶ町を治めていた人物。漱石は父と母千枝の5男3女の末子で、両親が年をとって生まれた子ども。生まれてすぐ里子に出されたり、養子に出されたりと不遇な幼少期を過ごした。お爺さんお婆さんだと思って接していた人が本当の両親だと下女からそっと教えられたことや、喜久井町という地名は、直克が夏目家の家紋「井桁に菊」にちなんで名づけたこと、夏目坂と命名したのも直克であること…など、漱石の随筆『硝子戸の中』に描かれている。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

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