2013年3月31日日曜日

日本アンデパンダン展 2013(国立新美術館)

◎TOKYO PHOTO nihonbijyutukai-ANDEPANDANTEN ; 30.3.2013







◎text
日本アンデパンダン展2013を見に六本木にある国立新美術館へ。展示会場に入ると、見やすいように28室に区割りされ、壁一面に大小さまざまな絵がずらりと飾られている。人物、自然、風景、静物、抽象画など作品の内容もさまざま。圧倒的に絵画が多いが、オブジェなどのインスタレーションや立体彫刻なども出品されている。

アンデパンダン展とは、無鑑査・無褒章・自由出品の美術展の名称のことで、フランスのパリで1884年に開催されたのが始まりという。日本では戦後に始まり、会費を払えば誰でも出展できる展覧会として多くの芸術家が参加している。

作品は日本の津々浦々から出品されている。ひとり2点、3点と出品している人もいる。見にきている人が自分はこの作品が一番好き…と言える自由な雰囲気がある。昨年は東日本大震災の影響を色濃く反映している作品を多く目にしたが、今年も福島原発事故後のこころの風景を描いたものがあり、印象的だった。

展示会場では写真撮影の了解をもらった。開催期間は3月20日(水)から4月1日(月)まで。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2013年3月29日金曜日

谷中 繪処アラン・ウエスト(AllanWest)

◎TOKYO PHOTO YANAKA-EDOKORO ALLAN WEST ; 19.3.2013










◎text
台東区谷中1丁目のヒマラヤ杉とみかどパンの並びに、「繪処」と書かれた看板のアトリエがある。入口のガラス張りのスペースに豪華な金箔、銀箔などで描かれた屏風や掛軸などが飾られている。以前から気になっていた。

今回「繪処 春展」の行灯があり、公開中とのことでお邪魔させてもらった。広い部屋の中央で作務衣を来たアラン・ウェストさんが、ハマグリの貝殻を使用した絵皿で金箔を使って描いている。両側の展示スペースには桜を描いた優美で独創的な屏風や掛軸などが飾られている。

アラン・ウエストさんはアメリカ生まれ。アメリカの大学芸術学部卒業後に東京藝術大学で日本画の技法を学び、画家として活動を始める。1999年、谷中に画廊兼アトリエを構えた。現在は屏風や掛軸のほか、お寺の襖絵や壁画、着物など広い分野の依頼を受け発表し、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地で個展も開催しているという。

5月いっぱいまで、桜の屏風を中心に「繪処 春展」を公開中。また、4月26日(金)には「繪処能」、能楽ワークショップを行う。アラン・ウエストさんの日本画に囲まれて能楽の世界に導かれるのも楽しいだろう。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2013年3月28日木曜日

関口芭蕉庵(文京区関口)

◎TOKYO PHOTO BASHOAN ; 23.3.2013










◎text
文京区関口の椿山荘の隣に関口芭蕉庵がある。胸突坂沿いの通用口から中に入ると、見頃を過ぎたしだれ桜の向こうに庭園が広がっている。「ひょうたん池」と呼ばれる小さな池を巡り、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑や池の周辺の草花を楽しむ。足元に小さなスミレが咲き、池のほとりの野いちごが花を咲かせている。

関口芭蕉庵は、もとは松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた「竜隠庵」と呼ばれた水番屋の跡だという。庭から裏山に伸びた石段をのぼっていくと「芭蕉翁之墓」と刻まれた石碑、さらに上には「芭蕉堂」がある。「芭蕉堂」前には「享保11年(1726)、芭蕉翁の三十三回忌に木像がここに祀らる」との看板が立っている。

自然をそのままに生かした整備しすぎない手入れは、落ち着いた趣深さを感じさせてくれる。芭蕉庵にある建物は戦災などで幾度となく焼失し戦後に復元された。現在では講談社・光文社・キングレコードらが中心となって設立された「関口芭蕉庵保存会」によって維持管理されているという。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2013年3月27日水曜日

文京区本駒込 吉祥寺の桜

◎TOKYO PHOTO BUNKYOKU-HONKOMAGOME-KICHIJYOJI ; 26.3.2013








◎text
吉祥寺は本郷通り沿いの、地下鉄南北線本駒込駅から歩いて2、3分のところにある曹洞宗の寺院。「旃檀林」(せんだんりん)と書かれた門額のある山門をくぐると、参道の両側に紅しだれ桜が咲き誇っている。まだ大きな木ではないが、何本も連なっているので見応えがある。ソメイヨシノも混ざってピンクと白色が見事に競演。

江戸期には吉祥寺境内に、後の駒澤大学となる学寮「旃檀林」が作られ、多くの学寮・寮舎を備え、常時1,000人余の学僧がいたという。「昌平坂学問所」と並ぶ江戸時代の漢学研究の中心であった。

東京大空襲でこの山門と経蔵を残して全て焼失した。経蔵とは経典や仏教に関する書物を納めておく建物。経蔵と鐘楼の間では枝を大きく広げたソメイヨシノの巨木も満開。木の下には「こいのぼり」の楽譜を刻んだ小出浩平先生顕彰歌碑がある。吉祥寺は川上眉山、榎本武揚、鳥居耀蔵などの墓所ともなっている。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2013年3月26日火曜日

文京区 椿山荘の桜と三重塔

◎TOKYO PHOTO SHINZANSO ; 23.3.2013








◎text
神田川沿いにある文京区江戸川公園の華やかな桜のトンネルを歩いていると、椿山荘の裏門に多くの人が吸い込まれるように入っていく。後に着いて行ってみると傾斜を利用した広大な森のような庭園が広がっていた。

裏門から入って小高い山を上っていく途中に、さまざまな種類の椿の木が植えられている。南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていたという。山の上には満開のソメイヨシノ、紅しだれ桜の先に由緒ある三重塔が建つ。

この地は江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だったところ。明治になって山縣有朋が購入し、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。その後、大正7年に大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵が東京での別邸とした。現在は都会の中のオアシスのような高級感溢れるホテル、レストラン、結婚式会場などになっている。

三重塔は、広島県加茂郡入野の竹林寺にあったものを、藤田平太郎が大正14年に譲り受け、椿山荘に移築したもの。建築工法や細部の様式から室町期の作と推定されていて、国の登録有形文化財に登録されている。

庭園の中は自由に散策できる。梅、椿から始まって桜、ツツジ、カキツバタ、紫陽花、百日紅など四季を通して花々が咲き、野鳥や蛍にも出会える。池や滝、湧水も流れる。羅漢石や七福神などの石仏なども鑑賞できる。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2013年3月25日月曜日

谷中墓地、天王寺から寛永寺根本中堂

◎TOKYO PHOTO FROM YANAKABOCHI TO KANEIJI ; 24.3.2013








◎text
日暮里駅南口改札を出て跨線橋の石段を上がり、左手の塀越しにあるのが天王寺。そこは谷中墓地への入口にもなっている。天王寺では正面のしだれ桜は少し盛りを過ぎたが、右手の八重紅しだれが見頃を迎えている。江戸時代までは谷中墓地のほとんどが天王寺の敷地であったが、明治維新の後、政府によって没収され公共墓地となった。

谷中墓地の「さくら通り」と呼ばれる中央園路は、満開の桜を楽しむ人で溢れている。五重塔跡の児童公園付近では、シートを敷いた数組の若者グループが、花冷えにもかかわらずビールを片手に盛り上がっている。谷中墓地がいちばん賑わう日である。

墓地を抜けて寛永寺へ。寛永寺は、慈眼大師天海大僧正によって寛永二年(1625)に創建された。かつては現在の上野公園の中央部分、噴水広場にあたる竹の台に間口45m、 奥行42m、高さ32mという壮大な根本中堂が建立されていたという。しかし幕末の戊辰戦争で、境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、官軍の放った火によって大部分が焼けた。現在の寛永寺根本中堂は川越喜多院より移築・再建されたもの。

次から次へ参拝客が訪れる。荘厳な根本中堂にかかる控えめな桜が麗しい。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa