2013年7月17日水曜日

文京区向丘 ほうろく地蔵尊界隈

◎TOKYO PHOTO HOROKU-JIZOSON ; 13.7.2013









◎text
文京区向丘は一丁目と二丁目があり、エリアは狭いにもかかわらず寺が多い。大観音通りに沿って北側に天昌山光源寺、金池山蓮光寺、金峰山高林寺、東梅山清林寺、千年山栄松院、桂芳山瑞泰寺。大観音通りの南側から本郷通りにかけて、常瑞寺、浄土山十方寺、法昭山顕本寺、福壽山大林寺、高耀山長元寺などがかたまってある。この日、13日はちょうど東京では迎え盆にあたる。花屋さんの前には行列ができていて、どの寺もお墓参りの人で賑わっていた。

向丘二丁目から本郷通りを渡って一丁目へ。向丘高校の部活動の声を聞きながら、裏手の狭い路地を入って行くと、ほうろく地蔵で知られる曹洞宗の金龍山大円寺がある。ほうろく地蔵は「八百屋お七」にちなむ地蔵尊。天和2年(1682)、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑をうけたお七。お七の罪業を救うために、熱した炮烙(素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされる。お地蔵様の周りには千羽鶴と炮烙が飾られている。

大円寺は塀越しにオレンジの彩り鮮やかなノウゼンカズラや楚々としたクチナシが咲き、落ち着いていて佇まいのいい寺。路地を挟んで墓地があり、墓地入口には六体の地蔵が並ぶ。六地蔵は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道のそれぞれの世界で苦しんでいるものたちを救うとされている。

お墓のあちこちに新しい花が供えられ、線香の煙が上がっていた。奥に進むと斉藤緑雨の古い墓、さらに一番奥には幕末期の砲術家・高嶋秋帆の墓があった。斉藤緑雨は、幸田露伴、森鷗外と一緒に文芸評論雑誌『めざまし草』で新進作家の作品に対する合評を行った“三人冗語”のひとりとして知られる。この中で樋口一葉の『たけくらべ』を絶賛。一葉の暮らす福山町をたびたび訪れ、一葉が亡くなるまで親交があったことが一葉の日記にも記されている。しかし、自身も肺結核にかかり明治37年(1904)に36歳の若さで病死した。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

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